非常に漠然とした極端な話。
一生のうちで、あるいは今まで生きてきて、人に知られない小さないい事と、
人に知られない小さなわるい事と、どちらをたくさんしてきたのだろう、と思うことがある。
うちの亡き母親は、人に知られないいい事をたくさんしてきたんじゃないかな、と
思っている。自分も気づかなかったし周りも気付かない、そういう分からないところで
やさしい事をたくさんしてきた、と思っている。そして本当に母親がそうであったなら、母も含めて、そういう「周りに気づかれない人たち」は、逆に周りが注目しているような気づかれやすい場面では、バカにされたり、だまされたり、疎まれたりしながら、一生を終える。
「終える」なんて断定は出来ないし証明もできないのだが、そんな気がする。
ある時点でしあわせの列車に乗り遅れた人は次の列車を待つしかない。
人生は最期に帳尻が合うようにはなかなかいかない。大概はしあわせへ期待と諦めのせめぎあいの中で、次の列車を待つうちに人生が終わる。